気まぐれ日記 2011年5月

2011年4月ここ

5月1日(日)「24回お疲れ様・・・の風さん」
 最後の連載原稿のデータを送信し終わったのは、今朝の6時過ぎだった。
 全24回つまり2年間にわたる連載だった。まだ、画像の掲載許可申請や校正の仕事は残っているし、最終的に雑誌に掲載されるのは8月号だから、すべて終わったわけではない。しかし、ホッとしたのは事実である。
 それにしても、どんな執筆もすぐ徹夜になってしまうのは、どういうわけか。効率の悪さは天下一品ということか。いやいや、改善の余地はきっとある。THINK THIK THINK……。
 その後、6時間仮眠した(笑)。
 これだから死なないのである(大笑)。
 5月になったので、先月ナイショにしていたことは、もう公然の事実として書いていこう。
 顔を洗って書斎に入ったら、ケータイに着信があった。
 折り返しかけてみたら留守電になったので、こちらからもメッセージを入れ、ケータイをポケットにしのびこませた。
 軽い食事を終えてから、ポケットのケータイを取り出したら、着信があった。留守電も! 食事中は着信に気がつかなかったということか!? 信じられない。やはりボケか。
 またこちらからかけると留守電になってしまった。
 激しいすれ違い(笑)。
 新人物往来社から手紙が届いた。貧乏のどん底にいるときに限って届く請求書かもと、恐る恐る開封してみたら、忘れていた印税振込み通知。ばんざーい。昨年のアンソロジーの文庫のだった。
 しかし。印税率は0.2%(2%の間違いではない!)。金額は、今月の新聞代をまかなえるもの。
 夕方、やっと着信に気付いて、電話に出られた。
 五大路子さんからだった。天真爛漫な話し方をされるので、貧乏人の私も元気になる。
 さあ、執筆、どんどん頑張るぞ。

5月2日(月)「準備は万端?・・・の風さん」
 今朝、突然、あるものを思い出した。
 先月、VHS⇒DVDで苦労したが、ビデオデッキとPCをつないで、VHSテープからDVDを作成する変換セットを、私は購入して所有していたのだ! 音楽カセットテープから音楽CDを作成できるように、機器をちゃんと用意してあるのと同様に、きたるべきデジタル時代のために、ビデオテープについても用意してあったのである。
 しかし、そのこと自体を失念していたのでは、宝の持ち腐れというものだ。
 とはいえ、海賊船の宝箱のようなゴミの山の中から、その変換セットを発掘してきて、ワイフに見せた。
 ワイフは呆れていた。
 今後の問題は、やはり時間である。
 変換セットは再びゴミの山……じゃなかった宝箱の中へ。
 ついでに、地上波デジタル対応の話をしておこう。
 常に時代の最先端を目指し、事前準備は怠りなかったはずの風さんだが、これだけはしくじった。
 そもそもテレビを観ない人なので、油断していたといえばいえる。
 我が家は地デジ対応が全くされていない! おまけに資金がない!
 このままでいくと、7月24日をもって、しばらくテレビは観られなくなる。
 最近、ワイフがこの事実を知人に話すと、例外なく驚かれるらしい。
 液晶テレビがないことだけでも、「うっそー」と言われるらしい。
 これも最近判明したことだが、我が家はお金持ちだと誤解されている。なにしろダンナ(風さんのこと)は一流企業のサラリーマンで且つ小説家だから、収入が多いと思われている。
 昔、DINKSという言葉があった。Double Income No Kidsの略語だ。夫婦共稼ぎで子供なし、という意味。これなら収入も多く、何をやるにしても金銭的に余裕がある。
 我が家は、風さんが一人でDouble Incomeをやっていると思われていたのだ。
 実際は、小説家は大赤字で、我が家の家計を圧迫しているのである。
 ということで、我が家のテレビもビデオも、もうじきスクラップ同然になる。

5月3日(火)「エンターティンメントに挑戦中・・・の風さん」
 ひたすら執筆に専念し、体をほとんど動かしていないGWなので、全身が硬直化し(凝っているのと少し違う)、バランスが悪く、疲れやすい。どうも私はやることが極端すぎる。やらないことも極端すぎる。
 出版社に読まれるとヤバイ面もあるが、現在集中して取り組んでいるのは、エンターティンメントである。これもチャレンジ好きの風さんにとっては初めての挑戦である。これまで論文みたいな小説ばかり書いてきたので、まさか風さんが?と思われるかもしれないが、これは原点に帰ることでもある。もともと風さんは空想好きから小説の世界に入ったのだ。
 今日は流行作家のように書き進んだ。けっこう楽しい。死ぬまでに書き上げねば。
 
5月4日(水)「ふるさと・・・の風さん」
 東日本大震災の影響もあるのだろう。地域に設置してあるスピーカーから、時刻になると音楽が流れるようになった。いざというときには緊急連絡に使われるはずだ。
 かつて、引っ越してきたときには鳴らされていたような気がする。近くのお寺の鐘も撞かれていた。
 こういう音は、子供らの心に焼きつくものだ。ふるさとがしっかり記憶の中に形成されると思う。
 休日で自宅にいるから何度も聞く。
 午後5時には「ふるさと」が流れてくる。うさぎ追いしかの山〜という曲。
 1週間にわたって被災地へ炊き出しに行った石原軍団は、最終日、お別れのときに、渡哲也がハーモニカで「ふるさと」を吹いたという。被災者にとってそこがふるさとなのは当然だが、日本人にとって日本がふるさとなのだから、彼らはそういう行動ができるのだろう。
 わたしも日本のために行動したい。
 
5月5日(木)「GWの総括・・・の風さん」
 中距離競争でいえば、今日がラストスパートだが、朝のうちは第4コーナーを回りかけている感じなので、リラックス状態で1
日が始まった。
 のちの作業のストレスを減らすために、まず、気になっている用事を先に片付けた。
 今日は、手紙を二つ書いた。出来上がった封書は2通だが、中身はまったく同じである。
 文面も共通になることだけを書いたので、失礼にはならないと思う。
 そして、いよいよ執筆に着手……、(中略)予想外に、夕方から早くもラストスパートに突入してしまった。残り時間から考え
てもラストスパートではあったが、内容的にも全速力を出さないといけない状況になってしまった。
 そして、午前零時。
 自分の力のなさに愕然としながら、徹夜体勢に突入した。
 結局、この1週間のGWは何だったのか?
 総括すれば、次の数値にすべて表れているだろう。
 ミッシェルの走行距離が「0」。風さんの外出回数も「0」。

5月6日(金)「めざせ、30年間無事故無違反の巻」
 1週間ぶりにミッシェルで家を出た。
 これから出勤するのだが、運転も外出も久しぶりという感じがする。
 やはり老化しているのだろう。これではサーキットは走れない(ふだんも走れないか)。
 今日は慎重に運転することにしよう。なにしろ私は、30年間無事故無違反表彰を目前にしているのだ。のべ走行距離は50万kmをこえるだろう。
 エンジンの始動はちょっともたついたが、走り出したら、ミッシェルは快調に走ってくれる。
 旧職場へは、ほとんど農道を走る。それでも、ネズミ捕りをやってたりするから腹が立つ。もっと事故の起きそうな場所(基本的に信号のある交差点だ)で取り締まりをやるべきだ。
 目の前を原付が制限速度ちょうどの50km/Hで走っている。追い越したいが、この先はネズミ捕りをやっている確率が高い。そこで、60km/H未満で追い越す。
(あっ! レーダーだ!)
 原付の前に出たところで、取り締まりのレーダー装置が道路わきに見えた。
 アクセルから右足を離すと同時に、ミッシェルのレーダー探知機のアラームが鳴り出した。
 敵はこっちを見てからスイッチを入れるのだ。
 退社時は、新職場からだった。午後7時を過ぎていて、もう夜である。ミッシェルはヘッドランプだけでなく白色のフォグランプも必ず点灯する。市街地走行が続き、信号も多い。
 信号待ちから左折し、横断者の多い歩道で一時停止した。
 すべて渡りきったところで、さらに左右の安全を確認しながら(横断歩道めがけて走ってくる奴がたまにいるからだ)、ミッシェルを発進させた。
 すると突然、左ななめ前方から無灯火の自転車が、こちらへ突っ込んできた。
 横着して横断歩道を通らず、自転車からも降りず、突っ走ってきたのだ。しかも、若い女。学生かもしれない。こういった無茶な運転をするドライバーが、愛知県には多い。県民性なら仕方ない(ずいぶん程度が低い)が、私は自動車学校と県警が悪いと思っている。マナー軽視だからだ。
 私は、ミッシェルを急停止させた。相手も、自転車を無理やり止めた。どちらが止まらなくても、正面衝突していたろう。馬鹿野郎と言いたかったが、考えてみれば相手は女だった(野郎は男)。
 ミッシェルを再発進させたら、すぐ右側に信号待ちで並んでいるパトカーがいた。
 目の前で今のが事故になっても、彼らは決して私に有利な証言をしてくれるはずがない。相手は自転車で女だから、交通弱者に味方するに決まっている。
 無事故無違反は、自分で努力するしかない。他の車も二輪も自転車も歩行者も、まして法律も警察も守ってはくれない。
 
5月7日(土)「プロジェクトで取り組む小説・・・の風さん」
 GWの谷間の勤務、二日目である。
 私の勤務先はトヨタグループに属している。連休などは、グループ全体が同期しているので、年間カレンダーもほぼそっくりになる。トヨタカレンダーと呼ばれている。
 大震災や原発事故が発端で、日本のエネルギー政策の再見直しが必要となった。今後、このトヨタカレンダーも見直される可能性が高い。
 昼休みに姓名判断の南山誠林さんとケータイで話した。取り組み中の小説の一つに、南山誠林の力……というより、南山誠林さん本人が登場するので、一種のプロジェクトみたいなものだ。2人だけではプロジェクトとして少ないというのなら、今後増やしてもいいと思う。いずれにせよ、どういう作品に仕上がっていくか、私はとても楽しみである。
 
5月8日(日)「決死の覚悟の意味・・・の風さん」
 再び、書斎にこもる週末がやってきた。決死の覚悟である。
 決死とは大袈裟ではないか、と思われるかもしれないが、これが現実である。
 ついこの間は、私の財布の中の現実を、うっかり暴露してしまったので、今日は、別のことを暴露……というより白状しておこう。
 よく「風さんは、すごいですね」と言われる。これは、私の二足のワラジや三足のワラジ状態に対する賛辞である。
 そういうとき、私はいつもこう応える。「しょせん、私は一人ですよ」と。
 普通の人が8時間で仕上げる仕事量の2倍とか3倍を、私は同じ8時間で仕上げることはできない。
 2倍の仕事量には16時間、3倍の仕事量には24時間が必要なのである。
 おそらく、今日と明日も、7連休と同様に、私は自宅から一歩も外出しない。執筆に専念するので、普通の人と違って、その間は、たとえばテレビも観ない(実は、社会人になって30年間、ずっとこんな調子だ)。
 こんなことをやっていて、体にいいわけない。だから決死の覚悟と言っているのだ。
 とはいえ、何とかこのヤマ場をこえたら、また体育館へトレーニングに行きたいとは思っているよ。

5月9日(月)「決死のGWの最終日・・・の風さん」
 パソコンが温度上昇に弱いことはよく知られている。
 CPUは内部で電子がきわめて高い周波数で動くので、摩擦で発熱する。通常の物体の抵抗は温度特性があり、温度上昇とともに抵抗値は上がる。
 だから、パソコンをスムーズに動かしたかったら、冷却すればいい。
 昨日は気温がずいぶん上昇したので、パソコンに小型扇風機の風を当てるようにした。
 書斎の温度も上昇したので、今年初めて冷房を入れた(実は網戸がボロボロで、窓を開けられない)。
 今朝の新聞を見たら、昨日の最高気温は28℃をこえていた。
 今日も、パソコン、室内(これは私自身ということと同値)を冷やしながら、執筆に専念した。
 明日からもやることが山のようにあるので、このまま徹夜体勢に突入するわけにはいかなかった。
 それで、午前零時を目処に、思い切って区切りをつけることにした。
 決死の覚悟で臨んだGWだったが、いちおう死ぬことはなかったようだ。
 ……と安心したのも束の間、階段ののぼりおりをすると、右ひざが痛い。
 
5月10日(火)「これが日常?・・・の風さん」
 日常が始まった。
 T製作所へ直行して会議(実際は連絡会なので、話を聞くだけではあるが)。続いて、本社へ。
 昼食後、職場へ出勤。朝からミッシェルで50km走った。
 たまっている仕事をひたすら処理していく。
 その中で、今月分の出張申請をまとめて出したら、あとで上司が驚いていた。
 現時点で月末までの出張予定が明確になっていること自体が脅威だろう。
 実は、来月の出張計画もほぼ確定しているのだが、旧職場の費用で行こうと考えているので、まだ出せない。
 定時少し前に、フライング退社(今朝が早かったから相殺……ということはない)。
 家電量販店に寄って、オモチャのようなIH料理器を購入した。ホットプレートみたいなものだ。これは、週末、母のところへ持っていく。電気ポットが水差し代わりになっているらしいので、今度はこれで挑戦。うまくいけば、やかんでお湯を沸かせるし、簡単ななべ料理もできる。そうなれば、ガス台を封印できる。
 帰宅しても、執筆、講義の準備、講演スライド作成と、鳴海風の日常が続いた。

5月11日(水)「雨の中のカタツムリ・・・の風さん」
 台風と前線の影響か、雨である。じめじめしていて、梅雨のような感じ。
 早々と出勤。午前中、来客対応。それから、昨日の続きで、たまっている仕事の処理。
 昼休みが終わりかけているころ、五大路子さんからケータイに電話があった。長谷川伸賞受賞のことで、相談事である。新鷹会に入って24年目になるので、アドバイスできるのだが、受賞する方は、喜びと同時に心配や不安もいっぱいなのである。特に芸能人は、ファンや周囲に支えられて成り立っている存在なので、気配りしなければとても多いのだ。私も精一杯サポートしよう。
 職場のオフィスは電波の状態があまりよくないので、ケータイに電話があったときは、ロビーか外へ出て話すことになる。今日は雨降りなので、よけい受信環境は悪くなる(電波は雨粒に吸収されるのだ)。
 雨に濡れない位置だが、外で電話をしていたら、出張しようとしていた上司が、ジェスチャーで「中に入れ」と僕の腕を引っ張った。私用電話なので躊躇していたら、わざわざ応接室のドアまで開けてくれた。
 応接室に入って、いちおう電波を受けやすい窓際に寄って話を続けた。
 窓から外を見ると、建物の脇に沿ったアスファルトの歩道に、大きなカタツムリがいた。
 雨にカタツムリか……。あと、アジサイがあれば、絵になる風景だな。
 電話が終わってから、外へ出、雨の中、アスファルトの歩道へ向かった。
 大きなカタツムリを取り上げて、草むらへ移動させた。
 ほとんど人が通らないわき道ではあるが、うっかり踏まれたらお陀仏だ。
 帰宅したら、楠木さんから新刊が届いていた。得意の歴史ものしり物。『歴史を動かしたすごい日本人』(毎日新聞社)である。50人も選ばれている。知らない名前はない。挿絵が多いので、ワイフの好みだ。あとで奪われるだろう。
 講演のレジュメを送付した。何らかの配布資料を用意するようになったのは、佐々木常夫さんのアドバイスを聞いてからだ。
 
5月12日(木)「三足のワラジは無理の証明・・・の風さん」
 朝から雨。
 月に一度のオフクロの介護の時期である。
 1年前までは、会社員と学生と作家の三足のワラジだった。
 それが、1年後の今は、会社員と作家とヘルパーの三足のワラジである(笑)。
 そもそも三足のワラジなんて無理に決まっている。僕はたった一人だ。
 介護のサイクルは、認知症を診てもらっている病院へ、薬をもらいに行くタイミングや、年金の受け取り、そして猫のトイレの掃除で決めることになる。特に三つ目の、猫のトイレの掃除が重要で、今や猫が7匹もいるのだ(そのうち5匹は子猫)。先月、トイレを増設して4つにしてきたが、トイレの掃除を放棄した母なので、月に1回は行かないと、とんでもない状況になってしまう。
 加えて、先月設置したティファールタイプの電気ポットが、単なる水差しになってしまったという問題もある。
 目的は、火の用心のためガスを使わせないことである。
 そこで今回は、IH調理器、しかもできるだけスイッチの少ないタイプを持参して、母に使って見せるのだ。
 愛工大で講義をしてきた。独特の講義で、フォード・システムのあと、チャップリンの「モダンタイムス」を見せてあげた。コンベアラインの流れ作業の弊害、というわけである。
 帰りの電車で爆睡してしまい、降りる駅を知らずに通り越してしまった。
 こういうのも、三足のワラジが無理だという証明だろう。

5月13日(金)「行く前から精魂尽き果てた風さんの巻」
 今日は13日の金曜日だが、仏滅ではない。残念、友引である。
 ワイフが実の妹と父親と京都へ出かけた。京都で一人暮らしを始めたうちの長男の慰問が目的らしい。幸せな奴だぜ。
 それにしても、昨日までの悪天候が嘘のように回復している。仏滅でないわけだ。
 今日は介護のため日本のチェルノブイリへ向けて出発する日である。どういう意味かというと、どこかの間抜けな政府が、何の得にもならない、むしろ百害あって一利なしの、レベル7(チェルノブイリと同等だという)に認定した福島へ行くからだ。
 その前にやることがたんとある。現地のケアセンターに電話して、ケアマネジャーから様子を聞くと、最近の母は落ち着いているらしい。病院の主治医が診察をしてくれるのは、木曜と土曜の午前しかない。だから、狙いは明日である。
 福島行きの準備だけではない。執筆もある。しかし、全部が完了するわけではないので、福島へ行ってもやることになる。荷物の中へ資料を入れておく。
 明日の午前の病院行きのため、実は、今夜の夜行バスで出発する。遠くへ行くので、交通費がバカにならない。節約も大切なのだ。
 夕方、名古屋で作家としての仕事をした。日本経営工学会中部支部の特別講演会である。
 短時間で準備をしたせいか、あまり雑駁な内容にならず、ポイントをおさえたスライド構成になった。
 夜の懇親会にもフル出場して、学会関係者との交流を深めることができた。
 京都帰りのワイフと落ち合って、喫茶店で情報交換した。
 ワイフは元気はつらつだったが、私は既に精も根も尽き果てていた。
 
 5月14日(土)「IHを知っていた?・・・の風さん」
 昨夜のバスの席は最後尾だった。後部座席の人に気を遣わなくてすむのはよかったが、実際は最悪の席だった。座った窓際が全面窓でなく、大きなピラーがあって、肩や腕を伸ばすことができなかった。さらに運の悪いことに、臨席が体格の立派な人で、そちらも全く余裕がなかった。結果として、両脇が拘束された格好で、非常につらかった。
 今回はできるだけ費用を安く上げようと、その後も、いじましい努力を展開した。早朝に着いたメリットを生かして、在来線で宇都宮まで行き、そこから東北新幹線(臨時ダイヤ)に乗ったのである。
 到着すると、いつものようにレンタカーを借りた。
 今日は、病院と日大工学部へ行き、買い物もしてから母の家へ入った。
 夕食のときに、持参したIH調理器を使って見せた。すると、
 「それ、IHって言うんでしょう?」
 と言われて、ぶったまげた。
 どうやら、テレビで何度も見たことがあるらしい。しかし、すぐその後で、
 「線が見えないからカッコいいね」
 だって! 
 つまり、昔の電気コンロ(ニクロム線がぐるぐる巻いてあったやつ)の新型だと思っているのだ。
 しかし、結果として、それがよかった。
 「これなら使える」
 と言うのだ。電気コンロなら使ったことがあるからだ。
 前途が明るくなった気がした。

5月15日(日)「賞味期限は2007年・・・の風さん」
 初夏のような晴天である。
 茶の間へ行くと、な、なんと母がIH調理器を、ガス台の上へ仮置きしていた。私の考えていたことを、母が自ら実行してくれた。これで、いよいよガス台の元栓を閉じることができそうだ。
 家の中に、子猫5匹を含めて7匹の猫がいる。
 午前中に、4つの猫のトイレの砂を交換した。当然、ゴミ袋が4つできた。
 茶の間のコタツ掛けが、子猫のオシッコで臭くなっていたので、洗濯機へ放り込んだ。
 午後、母と買い物に出掛け、美味いラーメン屋で昼食にした。
 帰宅したら、洗濯したコタツ掛けが、(2階の窓のところで干してあったので)ふかふかに乾燥していた。
 家の掃除をしているときに、毎日訪問介護のヘルパーさんがやってきた。
 IH調理器のガス台の上への設置も、金属板を用意して、しっかりとできた。
 ここまで疲れてしまったので、私は仮眠。
 そろそろ夕食を買いに行こうかと起き出したら、いつのまにか母が近所のスーパーまで歩いて行き、刺身を購入してきていた。主目的は猫にやるためである。
 ワサビがないかと、冷蔵庫の中を物色したら、あった!
 賞味期限が2007年10月25日だった。いちおう開封前の未使用品で、味見したら辛かったので、それで猫の余りの刺身を食べた。美味かった(笑)。
 深夜、母が寝ている時に、ガス台の下のガスの元栓を黙って閉じた。

5月16日(月)「力不足の地方在住作家の守るべきこと・・・の風さん」
 昨夜遅くまで作家の仕事をしたが、大きく進展させることはできなかった。
 とにかく今日は帰宅する日なので、寝不足でも起きなければならなかった。
 今日も上天気である。
 台所へ行くと、母がIH調理器でお湯を沸かしていた。順調、順調。
 朝食後、大量に作ってしまったゴミ袋(交換した猫の使用済トイレ砂4袋を含む)を処理した。
 レンタカーは48時間で借りているので、返す時刻が決まっている。
 それまでに満タン給油も終えなければならない。
 今回は、借りたのが軽自動車だったのと、あまり走行しなかったので、6リッターしか入らなかった。
 駅でお土産を買って、東北新幹線に乗り込んだ。
 大震災の日を連想してしまうが、せっかくのチャンスなので、東京で下車し、出版社との打ち合わせを目一杯(3つ)やった。
 力不足の地方在住作家は、打ち合わせの手間を省いてはいけない。
 また、頑張りすぎたので、帰宅は午後9時過ぎとなった。
 明日からもやることがどっさり控えている。
 
5月17日(月)「暗転・・・の風さん」
 会社の仕事の遅れを取り戻さなければならない。
 そう思っていた矢先、とんでもないトラブルが起きた。
 昼休みに、兄から電話があり、母がガスコンロが使えないと騒いでいるとのことだった。IH調理器は取り外されているらしい。何が起こったのか、想像はできるが、そんなことはどうでもいい。ガスコンロを使わせないようにするのが目的だからだ。
 朝のうち晴れていたのが、急激に空が暗くなり、やがて雷雨となった。
 結局、ガス会社の人にひと芝居打ってもらうことにした。閉じた元栓を開けばすぐに使えるようになるのだが、それをやってもらうのではなく、ガスコンロ自体に問題があってすぐ修理できないがまた明日来ると言って時間稼ぎをするのである。その間に兄貴と作戦を練ることにした。
 ガス会社の人は本当によくやってくれた。感謝以外の言葉はない。
 そんなこんなで、会社の仕事が中断させられ、調子が狂ってしまった。
 雨は上がったが、疲労した中でミッシェルのハンドルを握った。
 夜、10時に兄貴と相談し、明日、またガス会社の人に協力してもらうことになった。修理は困難ということで、ガスコンロを持ち帰ってもらうのである。これも、時間稼ぎ。
 作家の時間がとれたのは、それからである。

5月18日(水)「電話をかけまくり・・・の風さん」
 昨夜、兄貴と相談した作戦を展開するため、朝からあちこちへ電話をかけまくった。若いときに実務担当として仕事をしていた頃とそっくりの行動である。考えられるあらゆるケースを想定し、関係者すべてに情報を共有してもらうのである。
 いくらか想定外のこともあったが、おおむね、狙ったとおりにことは運んだ(しかし、いつまで時間稼ぎできるだろう?)。
 しかし、昨日今日と二日間で一か月分のケータイ電話代を使ってしまったぞ。破産じゃ(笑)。
 非常に疲れたが、会社の仕事もやった(当然か)。
 昨日の雷雨が嘘のように晴れた。そして、晴れると暑い。
 帰宅しようとしていたら、上司に「ちょっとだけ」と呼ばれて、1時間半も雑談してしまった。
 昔はこうやって仕事を教えてもらったり、コミュニケーションを密にとったりしていたのだ。
 
5月19日(木)「読書とマルチ人間・・・の風さん」
 今週の月曜日に出版社と打ち合わせて、いちおう方向付けがされたので、気分的に安定している。
 こういうときは、わずかな時間でもあれば読書ができる。
 日中は楠木誠一郎さんの本を読む。これは時代小説文庫の勉強のため。就寝前には、最近は秋月達郎さんの『蛍の城』を読んでいる。これはすさまじい本だ。戦国時代の合戦というか斬り合いのシーンがふんだんに出てくる。まるで映画の「ダイハード」のように、手に汗握って、とても疲れる(笑)。そして、そのまま爆睡するのだ。
 日大工学部に続いて、愛知工業大学のメールアドレスもゲットした。ますますマルチ人間らしくなってきた。しかし、しょせん私は一人。二人分の人格を演じるためには二倍の、三人分の人格を演じるためには三倍の努力が必要である。
 
5月20日(金)「益川先生のお話に共感・・・の風さん」
 いつも通りにミッシェルで約40km離れた新職場へ出社(途中で郵便物をポストへ投函)。
 朝のラジオ体操もちゃんとして、会議に一つ出席してから、ミッシェルで出張に出発。帰りの都合を考えて、戻る方向へ走る。
 駐車料金の不要なところへミッシェルをとめて、名鉄で名古屋へ。
 駅で電車を待つ間、初夏というより夏が近い陽射しを感じた。
 今日は職場を代表して、講演会の聴講である。
 仕事の関係ではあるが、著名人が講演されるので、聴講者が非常に多い。VIPも多い。
 豊田章一郎氏の年齢(86歳)を感じさせない風格に驚嘆した。電通大の先生のお話の中に、知らないことがいくつか入っていて、欧米の初等中等教育の実態と、日本の教育の遅れの挽回については感銘を受けた。益川敏英先生のお話は、科学技術に携わる者として胸のつかえが落ちる思いがして爽快感があった。これからもじゃんじゃん発言してほしい。地元のお役人の話はつまらなかったし、途中で退席してしまうのもいかにもお役人的で、いくら震災後とはいえ、いただけない。

5月21日(土)「早くも夏バテ?・・・の風さん」
 本来書き入れ時の週末のはずだが、今週は週始めからトラブル対応で消耗してしまい、あまり期待できそうもない。
 おまけに昨日に続いて朝から晴天で、夏のような暑さになりそうだった。
 そんなわけで、たらたらと1日が始まり、午後には早くもぐったりして、書斎で横になってしまった。
 しばらくして起き上がったら、とんでもない事態になっていた。
 昨日から日本推理作家協会の創立60周年記念で配られたTシャツを着ているのだが、色が黒なのである。我が家は猫が2匹いて、1匹(ちび助)はほとんど真っ黒だが、もう1匹(ぺこたん)は三毛猫である。夏を目前にして毛が生え変わっているらしく、落ちた毛が、黒いTシャツにおびただしい数付着していた。コロコロを使って取るしかなかった。
 夕方、あわただしく文章サークルの準備をして図書館へ出かけた。
 今日の出席者は5人。
 サークル内で大活躍している人の近況報告と私のワンポイントレッスン(小説における視点について)に続いて、持ち込まれた作品をもとにした勉強に入った。
 まだ、原稿用紙1枚程度と決めた作品ではあるが、意見交換すべき内容はたくさんあり、私自身も勉強になる。
 昼寝して得たパワーが切れたので、早々とサークルを閉会にして帰宅した。

5月22日(日)「平和で幸福な1日・・・の風さん」
 朝から雨模様である。本当に天気予報がよく当たるので、不思議な感じがする(技術者がこんなことを言っていてはいけないのだろうが)。
 ワイフのお母さんが、久しぶりに我が家へ遊びに来てくれた。
 ニューフェースのちび助を紹介した。お母さんからは、先輩のぺこたんの方が愛想はなくても素朴な三毛猫なので可愛く見えるようだ。
 会社を退職した後は、ヘルパーとして大活躍しているお母さんなので、母の認知症の話をして色々と貴重な意見を聞くことができた。
 昼食は、雨の中、伊勢湾が見えるレストランへ行った。
 夕食は、私が得意のギョーザをどっさり作った。
 今日は子供たちを代表して次女しか顔を見せなかったが、平和で幸福な1日だった。

5月23日(月)「今日からまた気が抜けない・・・の風さん」
 作家として今から2週間が再びヤマ場となる。下腹に力を入れて、油断なく、根性で頑張るしかない。
 最近旧職場のA製作所にあまり顔を出していなかったので、今日は直行した。
 ラジオ体操をやろうとオフィスから出たら、現場の子とバッタリ遭遇した。懐かしかった〜(笑)。
 神棚参拝もして、定例会議にも出席した。
 昼食後、新職場へミッシェルで移動し、先週の出張報告をまとめ、退社した。帰りに買い物もした。
 なーんだ、口ほどにもない。たらたらした1日だったじゃないか、と思っているあなたは甘い。
 日記を書いている余裕もなく、あっという間に終わった1日だったのだ。

5月24日(火)「からくり時計が突然・・・の風さん」
 昨夜の話である。リビングの壁にかけてあるからくり時計が、突然音楽に合わせて動き出したという。
 この時計には、周囲が明るいとき、時間になると人形が音楽に合わせて踊る仕掛けがついている。夜間、暗いときは近所迷惑なので動作しない。
 しかし、明るいときでもかなり騒々しいので、もう何年間もスイッチを切ってあった。
 それが突然動き出したのだという。しかも、中途半端な時刻に。
 ワイフによれば、驚いてさわっている間に鳴り止んだので、そのままにしておいたという。
 それが、今朝、未明に、また鳴り出したのだ。
 階下へ降りていったワイフが処置したのは、からくり用の電池を抜き取ることだった(元々スイッチはOFFだから)。
 不思議なこともあるものだ。
 そんな変な始まり方をした1日だったが、ダイナミックな1日でもあった。
 新職場へ出社して会議に出、昼食後、ミッシェルで外出。名商大と愛学大を続けて訪問して、先生に会って話をし、再び新職場へ戻った。今夜は戸締り当番なので、すぐには帰れない。
 結局8時半頃に戸締りを終了することができた。
 
5月25日(水)「時間的な綱渡り・・・の風さん」
 昨夜、秋月達郎さんの『蛍の城』を読み終えた。着眼の素晴らしい作品で、内容は、戦記物の古典を読むようなすがすがしさがあった。今年は読書ペースが遅く、やっと13冊目だ。
 今日は朝から晴れていて、汗をかく1日になりそうだった。
 いつも通りラジオ体操から仕事が始まったが、息つく間もない。
 昼前に本社へ移動し、昼食後、今度はトヨタグループ会社を訪問した。
 一橋大学イノベーション研究センターと一緒にしている仕事の第二弾がいよいよ始まるのだ。
 2時間の予定が、3時間半も対応してくれて、充実した調査ができた。
 急いでおいとまして、家路についたのだが、実は最寄の駅までワイフを迎えに行く約束をしていた。
 間に合わないかもしれない、微妙なタイミングだった。
 いちおう出発前に「予想帰宅時刻は6時半ころ」とメールしてから、ミッシェルを加速させた。
 6時過ぎに、6時15分ころ駅に着くというメールが届いた。
 (無理だ。間に合わない)
 6時13分に「あと10分で着く」とメールした。つまり、6時23分に駅へ行くという意味である。
 本当に6時23分に駅に着き、重い荷物を抱えたワイフは待っていた。
 明日の講義の準備でまた寝るのが遅くなった。

5月26日(木)「非常勤の仕事が一段落・・・の風さん」
 ガス台の修理が完了しないので、福島の母が動き出した。ヘルパーさんに不満をたれているという。
 できればもうガス台のことは忘れて欲しいのだが、やはり無理なのだろうか。
 今朝もいつも通りに早起きして新職場へ出社。ラジオ体操から1日が始まったが、やはり息つく余裕もない。
 昼食後すぐ退社した。
 愛工大で非常勤の講義をするため、午後は有休にしてあった。
 ミッシェルを近くに置いて、某駅から電車に乗った。
 講義の資料はほとんど昨夜作ったものだ。
 講義中に五大路子さんからケータイに電話が入って少し焦った(笑)。もちろん出なかった。
 私の講義は1ヶ月間お休みになるので、課題レポートを出した。変わった問題である。生産システムに似た事例を探せ、というもの。回答が楽しみだ。
 地下鉄と電車を乗り継いで、最後はミッシェルで帰宅した。
 ヤマ場の前半戦がほぼ終わった。やれやれ。
 
5月27日(金)「JMAに復帰・・・の風さん」
 昨夜、今年最初のゴキが出て、ちび助が発見したそうだ。昨年の猛暑から今年の大震災といった大きな出来事を始めとして、異常な自然現象が続いているが、ゴキの出現もその一環だろう。
 今日は出張で名古屋へ出た。ヴィド・フランスで昼食を摂ってから、名駅近くのビルへ。台風に刺激された前線の影響で雨模様が続いているが、ムシムシしていると思ったら、早くも梅雨入りしてしまった。
 1年間のブランクをおいて、JMAの仕事に復帰した。この仕事は、人との出会いを始めとして、他社の工程見学もあって、実に勉強になる。主役は各社の中堅生産技術者だが、老いぼれの私も着実に成長したい。
 懇親会で、拙著『星空に魅せられた男 間重富』を読み込んでくれた名大の先生と、たっぷり話し込んだ。こういう話は、腰を据えて語り合わないとなかなか伝わらない。先生の感想「偉大な人を、普通の人のように描いていて、とても気持ちよく読めた」というのが、うれしかった。これからもこういった感想をもってもらえるように書こうと思う。
 当地の私鉄や市バスでは「manaca」というIC乗車券を使用しているが、1回に5000円のチャージだとすぐなくなってしまう。東京と違って運賃が割高なのだろう。

5月28日(土)「今年2度目の論文賞受賞・・・の風さん」
 今日も雨。
 最寄の駅を7:26に出る電車で出発した。東京へ行くわけではない。県内出張だが、遠いのである。
 目的地は、愛知学院大学日進キャンパス。
 日本経営工学会春季大会がおこなわれる。
 総会の後、学会賞の授賞式があり、幸運な私は、論文賞を頂戴した。1年間でたった1本だったので、驚いた。
 すべて指導教官の大野先生のお蔭だが、その大野先生も、その場で、名誉会員としての表彰を受けた。
 それにしても昨年の3月に愛工大を卒業した後、3月の日本機械学会生産システム部門の論文賞に続いて、日本経営工学会の論文賞を受賞するなど、まったく予想もしていなかった。
 学会で知名度が上がりながら、同時に小説家鳴海風としても知られていき、だんだん自分の人生の目指す姿が見えてきたような気がする。
 午後は、特別講演会を聴講して人生の先輩の貴重な経験を知り、続けて研究発表を少し聞き、夕方の懇親会から、大野先生の名誉会員をお祝いする2次会にも出て、家路についた。
 今朝、「manaca」に5000円チャージしたが、名鉄、地下鉄、バスと往復の交通手段すべてに使用したため、ビックリするほど減ってしまった。来週の出張の帰りにまたチャージすることになりそうだ。
 久しぶりにつけた万歩計が12250になっていた。

5月29日(日)「待ったなしのスパート・・・の風さん」
 週末のヤマ場へ向けて、あらためてスパートする初日である。
 ここのところずっと取り組んでいる執筆は関孝和である。偉大な数学者でありながら謎の多い人物でもある。現在もなお多くの数学者が関孝和に取り組んでいる。
 しかし、数学者のアプローチと小説家のアプローチというか目的は異なる。
 数学者の膨大な研究をトレースしながら、小説家としての着眼点を発見しなければ、原稿は書けない。書き出すこともできない。モチベーションというか、創造的な仕事のためには「動機付け」が重要なのである。
 そうは言っても、イマイチ着眼がはっきりしないからと全く着手しないわけにはいかないところまで追い詰められた。
 日本的な手法、走りながら考えるフェーズに突入することにした。
 ペースは遅いが、文字と文章を紡ぎながら実りも空想するのだ。
 しかし、執筆だけやっていればよいわけではない。週末には会社の仕事で講演もあるのだ。
 まだ徹夜で取り組むわけにはいかないので、午前3時くらいでやめておいた。

5月30日(月)「出社しても執筆環境に影響なし・・・の風さん」
 今日は予定を組み替えて、執筆環境を整えた。
 いきなりミッシェルに給油してから本社へ向かった。
 本社で週末の出張の切符を受け取ってから新職場へ出社。
 一橋大学で予定している講演準備をするがたいして進まない。
 上司へ説明して、講演(週末の出張)準備のために明日を有休にすることにした。
 夕方から旧職場へ移動して(資料探しをしたが見つからず)、いつも通りに帰宅。
 こうしてスムーズにまた執筆環境に復帰した。

5月31日(火)「同僚からの回答メールに感謝・・・の風さん」
 有休なので、講演の準備もしながら、執筆も思いっきり継続。
 私が有休のときに限ってワイフは出かけていていない(笑)。
 宅配がきたり、電話がかかってきたり、留守番の仕事も加わった。
 昼食は10分で終了。まるで会社だな(^_^;)。
 夕方、洗濯物を取り込んでから、久しぶりに帰省してきた長女を駅まで迎えに行った。
 父の日プレゼントで、カッコいいスニーカーをもらった。東京作家活動用だ。
 この間、愛用していた靴が壊れたので、補充にもなった。
 長女に母の(長女にとっては祖母の)様子を詳しく話して聞かせた。
 夜は、帰ってきたワイフと3人で外食。
 景気が戻っていないのだろう。その夜の客は私たちだけだった。
 夜、10時近くに、会社の同僚からメールが届いた。質問していたことに対する回答だった。
 忙しい中、こんなに遅くまで頑張って回答を用意してくれたのだ。頭が下がる。
 まだ徹夜をするわけにはいかない。
 今夜も午前3時で作業を中断した。

2011年6月はここ

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